丸山です。 >From: KIRIYAMA Kazuhiko <k...@pis.elm.toba-cmt.ac.jp> >Date: Tue, 16 Apr 2013 11:44:01 +0900
>桐山です > ># チャチャです なるほど。これは完全に「チャチャ」ですね。便乗して私も本音を書かせて頂 きましょう。ただし皮肉を込めた遠回しの言い方ではなく、ストレートに書き ます。 >おそらくこの ML のメンバーの多くは > >o UI には関心が無い >o PCBSD なぞ使わなくとも既に自分で十分使える環境を整えている >o そもそも他人の作った環境に乗るのが嫌 > >な人なのでは ;p 加えて o 「高尚な」FreeBSDが、DebianやUbuntuのような「素人迎合路線」に走るの は「ケシカラン」と思っていて、サーバー用途でのFreeBSDの真価は認めて いるのに、UIには決してFreeBSDを使いたくないと思っている 人がいるのではないかと、私は危惧しています。いなければ良いのですが、も しいるのなら、はっきりと申し上げたい。そのような考えは「FreeBSDに対す る間違った愛情」です。「歪んだ愛情」でもあります。 UNIXの真価は「スケーラビリティー」にあると思います。組み込みシステムか ら、日々の用途のデスクトップ用、サーバー用、スーパーコンピュータに至る まで一つのOSが、せいぜいパラメータの調整くらいで動かせるのが理想だと思 います。UNIXは設計の当初からそれを念頭に置いていたと思いますし、 FreeBSDがその思想をもっとも良く受け継いでいると思います。FreeBSDをサー バー用に限定して考えることは、可能性を制限することであって、あってはな らない思想だと思います。 FreeBSD9.0から追加された Linux Binary Compatibility は、(詳しくはない のですが)技術的な意味では、たいして革新的な機能追加というものではない と言う気がします。それは単にFreeBSDが持つ技術的な包容力の一端を示した というだけの事かも知れません。 ですが、これが持つ社会的な意味でのインパクトは重大と思います。多くのハー ドウェア/ソフトウェアベンダーが Windows用とLinux用のバイナリーしか提 供してくれないという「社会的な劣勢」を、「技術の力で跳ね返す」と言う意 味を、FreeBSD9.0のLinux Binary CompatibilityとPCBSD9.xは持っていると思 います。 社会的な劣勢を技術の力で跳ね返す これこそ、技術者がなし得る最も価値ある仕事だと思います。インターネット はそれを成し遂げています。海外ではITUの規制に阻まれ、日本国内では「OSI 閣議決定」まであって、インターネットは「庶子」のような扱いでしたが、イ ンターネットの技術開発はそれをひっくり返して今日の地位を得ました。 FreeBSD9.0のLinux Binary CompatibilityとPCBSD9.xが持つ意味、「社会的な 劣勢を技術の力で跳ね返す」という可能性を私は信じるし、皆さんにも信じて 貰いたいのです。 この日が来ることを15年待ったという気がしています。私が待つ次の記念日 は - ベンダーが皆 FreeBSD用バイナリーを当たり前に提供するようになり、 Linux Binary Compatibilityが標準ディストリビューションから外れる日 - ベンダーが皆 Linux用バイナリーを提供しなくなり、LinuxにFreeBSD Binary Compatibiliyが導入される日 10年後か20年後か? -------- 丸山直昌@統計数理研究所