可知です。 平野さん、コメントありがとうございます。 お忙しい中、長々おつき合いを頂き恐縮です。
Kazunari Hirano さんは書きました: > 2008/6/20 Yutaka kachi > <[メールアドレス保護]>: >> これは可能ですか? > もちろんです。 > > 「日本ユーザー会」は、実体がないのに、なまえだけ、そのことばだけがひとり歩きしてきたわけです。 なるほど。 まずは、このご意見についてもお礼を言わせて頂きます。 ここ2年ほど、平野さんがこのように考えているだろうなと思っていましたが、 今回ようやく直接にユーザー会についての意見を聞かせて頂いたと思います。 簡潔な回答を頂いたにも関わらず、私の返事は割と長文です。恐縮です。 さて、"「日本ユーザー会」は実体がなく、名前だけが言葉としてひとり歩きし ている"というお考えについては、私もそのとおりだと思います。同意します。 ユーザー会が"ある"とか"ない"とか言うことではなく、このように明確に述べて 頂ければよくわかります。同様の考えは、平野さんやわたしだけでなく、先代の 日本語プロジェクトのリードであった巳鳴さんも持っていました。OSC2005 Tokyo/springにおいて「OpenOffice.org日本ユーザー会の過去と未来」と題する セッションで「OpenOffice.org日本ユーザ会は存在しない」と述べています。 * OpenOffice.org日本ユーザー会の過去と未来 [PDF] http://ja.openoffice.org/marketing/event/oooconja2005/archives/20050326-7A5.pdf ただ残念ながら、平野さんは同じ時間に「OpenOffice.orgの未来 BOF」という セッションをコーディネートしていたので聞いていなかったのだと思います。 > 誰でも使える、誰でも名乗れる、便利なことばです。 これも、おっしゃるとおりです。 同意します。 さて、では何の目的で「日本ユーザー会」という言葉が存在し、ひとり歩きして きたのかということです。具体的に、どのような便利さがあったのでしょう。 せっかくの便利な言葉なのですから、どのような便利さを持っていたのか追求す ると、その便利さがいっそう理解できます。 ここでは、ユーザー会の運営方針について議論しないということですので、過去 にユーザー会がどのような方針を持っていたか、という点だけ説明します。 利点1:名前があることで、人が集まる目印になった 利点2:名前だけの存在であったため、組織を作り運営するコストを削除できた ユーザー会という活動は、OOo1.0のリリース前後から存在していました。 今から思うと、コンピュータマニアのおもちゃのような存在でした。 企業がビジネスにすぐ使うとか、そういう品質ではありませんでしたし、まだ今 ほどOSSが注目されてもいませんでした。また、Windowsユーザーが利用するオー プンソースや、デスクトップで使うオープンソースの数も、今ほど充実していま せんでした。 そのために、目印だけ作って、組織を作らないというのは、十分にリーズナブル な作戦だったと考えています。 これは、ユーザー会という名前の元で活動してくれた人たちが、オープンソース のコミュニティを自分たちなりに解釈した結果だったと思います。今にして思え ば、Web2.0とかCGM(http://e-words.jp/w/CGM.html)を先取りしていたのだと思 います。 このおかげで、名前だけの存在であるにも関わらず、それなりの成果を収めるこ とができました。2.0のリリースまで、ほとんどコストをかけることなく、それ なりにマーケティング活動ができましたし、oooug.jpのようなリソースをお借り することもできました。また、日本語プロジェクトの立ち上げ時には、その土台 の一部にもなりました。 ちなみに、ユーザー会の行動方針のようなものは、こちらに(今でも)おいてあり ます。2002年から2003年にかけて、私(catch)が書いたものです。すでにトップ ページからはリンクされていません。 * OpenOffice.org ユーザー会の進み方 http://ja.openoffice.org/howtoparticipate.html http://oooug.jp/mirror/howtoparticipate.html > たとえば、今日、誰かが「わたしが日本ユーザー会だ」といっても、誰も文句がいえません。 おっしゃるとおり、それは欠点のひとつです。 そのほかに、「責任の所在がはっきりしない」という欠点もあります。前述の 「OpenOffice.org ユーザー会の進み方」には、次のように書いてあります。 ----- Q.そんなんで責任がとれるの? A.誰も責任はとりません。 責任者も存在しませんし、あなたにも義務と責任を強要しません。 その代わりに、活動と情報をオープンにするコトが とても重要だと思います。 ----- まだ、ほかにもいくつか上げることができるかも知れませんが、主要なところは こんなところでしょう。 ユーザー会という名前の持つ、利点と欠点を整理すると次のようになります。 利点1:名前があることで、人が集まる目印になった 利点2:名前だけの存在であったため、組織を作り運営するコストを削除できた 欠点1:誰でもユーザー会を名乗れて、誰もそれに文句を言えない 欠点2:責任の所在がはっきりしない ユーザー会という名前で活動をしていた人たちは、このような利点と欠点を理解 した上で、この名前を使い続けることを選んだ、ということです。 そして、名前だけの存在であっても、人々が集まれば、個々人のバラバラの活動 以上の成果を生み出せる、ということです。 > 私が主張しているのは、OpenOffice.org > 日本語プロジェクトが、「日本ユーザー会」を、たとえば「たんなる言葉である」とか「コミュニティーである」とか、定義する必要はないということです。 > > そんなことをしなくても、十分関係を説明できます。実際これまでに矢崎さんがまとめてくださった線でほぼ説明できていると思います。 さて、平野さんの主張は理解できます。 私も次のように述べています。 -- 2008/06/12 -- そのため本文中では、"日本ユーザー会"について言及します。たしかに、日本語 プロジェクトの定義だけから考えれば、これは不要かも知れません。 ---- ですので、ここではそれに反論しないことにします。 その代わりに、次のような提案をさせて頂きます。 ・今回のステートメント(日本語プロジェクトについて矢崎さんがまとめてくれ ている奴)において、名前だけの存在である「日本ユーザー会」について言及す るため、次の一文を残す。 ---- 日本ユーザー会はOpenOffice.orgについて共通の関心を持った人たちのコミュ ニティです。 ---- 理由1:この一文があることで、日本ユーザー会と日本語プロジェクトについて 混乱している人たちが、日本語プロジェクトから見たユーザー会の位置付けを理 解しやすくなる。 理由2:ユーザー会の名前で集まっていた人たちが、今後日本語プロジェクトに 協力していくための土壌を作ることができる。 確かに、「ユーザー会を定義する必要はない」という平野さんの提案でも、十分 関係を説明できます。問題は、その先です。これだけでより多くの人たちのやる 気を引き出す文章になっているでしょうか。私は、なっていないと思います。 単純に内部のロジックを積み上げて文章を組み立てるだけでは、人を動かすメッ セージとしては十分に強くなりません。そこから一歩踏み込んで、読み手の想像 力を刺激することが、マーケティングには重要なのだと思います。 長文、失礼しました。 ご意見を頂ければ幸いです。 -- 可知 豊 Yutaka Kachi http://www.catch.jp/ [メールアドレス保護] --------------------------------------------------------------------- To unsubscribe, e-mail: [メールアドレス保護] For additional commands, e-mail: [メールアドレス保護]