矢崎です。 >> より論理的にリーダーと話をするために、リーダーじゃない人が頭を揃え、 >> 意見を揃えてぶつからないと、政治的判断とか権限には叶わない。 >> っていう意味です。 > >それはわからないです。論理的にリーダーと >話をするために、リーダーじゃない人が頭を揃え、意見を揃えた >ところで、そこで論理的な帰結が得られるとは限らないです。 >また、前提が間違っている場合は論理的な帰結もダメです。
これについては、中田さんが文字にしていることに限れば、一致しています。 そして、中田さんが文字にされていないことで追加するなら、 リーダーじゃない人が頭を揃え、意見を揃える過程で、 前提が正しいものと考えられるように、また論理的な帰結が得られるように 努力します。 頭数を揃えて、そういう努力をしないと、我々のような下っ端は、 リーダーが受け入れてくれそうな意見は醸造できないのです。 そういう努力をしても、前提が正しいものと考えられない、論理的な帰結が得ら れない、意見が纏まらない、結果リーダーを打ち破ることができないと思えば、 纏まりませんでした。と宣言して、リーダーには持っていかないことになるでし ょう。 #頭数を揃えなくてもリーダーが受け入れてくれる意見を言える人は #そのようにすればいいです。 >論理的であるということと、どうすることがコミュニティ的に >正しいかはかならずしも接点がありません。だからここに >政治的判断が入ります。 ・「論理的である」→「コミュニティに正しい」→「リーダーが実行する」 ということにはならない。必ずしもひとつめの「→」が成り立つわけではない。 ・「コミュニティに正しい」→「リーダーの政治的判断」→「リーダーが実行す る」という流れがありうる。 ということですよね。これはわかりますし、一致しています。 >そして、明らかな間違いは、利害関係が >ほぼなくなったところで正さねばなりません(ユーザー会のメンバーも >定義できない時点で、各自が「ユーザー会」について好き勝手なことを >いうだろう、それはあたりまえで、合意形成が得られません)。 ここは言わんとしていることがよくわかりません。 >論理が及ばないところでは、合意形成が重要です。 >例えば、「人殺しを止めよう」これは論理ではありません。 >人が死ねば悲しいという単純な人間の感情からくる、命題です。 >ただ、「人を殺したい」という欲求が人間にあるのは歴史を見れば明かで、 >繰り返し繰り返し、ずっと行われてきました。 >それを止めたいのであれば、人と人と、もう少し >大きく、(これもwell definedではないですが)、 >コミュニティで「合意」を形成することです。あなたと私では >そのような合意を作れるでしょう。つまり、 >「私は人を殺さないし、あなたも人を殺さない」ということをあなたも私も >「そのように約束する」と、お互いがお互いに宣言することです。 これは一致しています。 >以下二点。 > >* ここまでは我々の理解は一致してますか。 >* OOoのコミュニティでは合意形成、どうやって「合意を得た」 >と言えば良いのでしょうか?あなたの意見をお聞かせください。 OOoのコミュニティというのは何を指すのでしょう。 OOoのコミュニティがOpenOffice.orgに関わる人たちを指すなら、 合意形成はできないでしょう。 関わる人たちが誰だかわかりませんので、どうやっても「OOoのコミュニティで 合意を得た」とはならないと思います。 一方、日本語プロジェクトを指すなら、日本語プロジェクトの手続きがあるので はないでしょうか? 手続きに沿って行えばよいと思います。 手続きが定められていないなら「OOoのコミュニティで合意を得た」とはならな いと思います。 質問の答えになっているといいのですが。 >> それでも叶わないことばっかりなんだと思いますが。:-) > >いえ、そうでもないです。個人名を引き合いに出して申し訳ないですが、 >平野さんやJoost, Andre, Rafaella, 石村さん、斎藤さん、 >Louis, Stefan, Peter Junge >の私信や議論は的確、論理的かつ妥当で、よく私は使われています。 それはすばらしいです。見習いたいものです。 --------------------------------------------------------------------- To unsubscribe, e-mail: [メールアドレス保護] For additional commands, e-mail: [メールアドレス保護]